2年前の夏、新しいデジカメを購入したその日、東京大学本郷キャンパスに寄って試し撮りをしました(当時は本郷に住んでいました)。
ここには木々や池もあるし、実は地域住民にとっての憩いの場所でもあるんです。
しかし、建物は老朽化が進んでいるし、落ち葉や枯れ枝なんかはほったらかしの荒れ放題。同じ東大の施設の小石川植物園は、研究のためにわざと自然のままに放置しているという話を聞いたことがあるんですが、こちらはキャンパスですからね。欧米の美しい大学のそれと見比べても、やっぱり見劣りしちゃいますよね。
さて、この写真。とある木の中腹にあった何の変哲もない蝉の抜け殻です。
ここで脱皮したということは、東大キャンパスの地中で、学問のエキスをたっぷり吸い続けていたかどうかは知りませんが、3〜6年くらいは生活していたということです。成虫は東大生の頭の上で誇らしげに鳴いていたのでしょうか?
蝉の抜け殻=空蝉は、現人(うつしおみ、うつそみ)から変化して生まれた語らしいですね。
現人=この世の人。それに対して変化した語は空蝉=もぬけの殻。
いるのにいない。あるのにない。仏教用語でいう空(くう)の状態。
空蝉、考えてみれば不思議な語です。
この抜け殻は、絵の資料のために持ち帰り、しばらく我がアトリエの本棚に置いてありました。
ともすると、東大生の生まれ変わりの蝉だったかもしれません。
しかし、中身は空っぽの抜け殻。
自分らしくていいかもしれない。
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